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時は1990年の3月
アッシーくんやおやじギャルという言葉が流行語であったころ 父の経営する会社でアルバイトをはじめた。 この3月は思い出深い その会社は学習塾で使用する教材の販売業 3月といえば新年度に向けて忙しさがピークに達していた。 わたしは教材の荷造りと出荷作業を手伝うことになった。 小さな倉庫は書籍の在庫でいっぱいなため 荷造りは倉庫の前の駐車スペースで行わなければならなかった。 雨はしのげるものの山陰地方特有の冷たい風が吹き付ける 荷物は毎日大量に入荷するため その日入った荷物はすべて荷造りしておかなければならない状態 そのため、平均朝の9時から夜12時で 時には朝の4時までかかることもあった。 ただでも寒いのに夜10時以降は冷え込みが強烈にきつくなる 気の利いた防寒着もなかったので そんなときは体にダンボールを巻きつけて作業をした。 これは格好はすこぶる悪いがなかなか温かかった。 しかし、そんな状況での荷造りは当然ミスが発生する クレームの電話がかかると 父は荷物をつくった人間をどなりつけた。 わたしもよくどなられた しかし、このころの父は本当に働き者だったから 文句も言えなかった。 つづく
by zemiiwaki
| 2007-12-01 11:58
| 塾長物語「志ある者・・・」
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